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【2002年3月】九州旅行 その10:小倉-<ひかりレールスター>-新大阪-<グランドひかり>-東京


(約20年前のネガフィルムをデジタルサルベージした画像で、当時の模様をお伝えする旅行記です。
 一部の画像はフィルムの劣化や退色などでかなり見難いことをご了承ください。)



前回からのつづきです。




小倉から東京までは、新大阪乗り換えで「ひかり」号を乗り継いで帰ります。


山陽新幹線のホームへ上がると、0系新幹線がいました。
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新大阪行きの「こだま」号で、これから乗車する「ひかり」号を先に通すために待避停車中でした。

ピンストライプのラインが追加された、旧「ウエストひかり」車両ですね。



これから乗車するのは、上の段に表示されている列車。
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今となっては風前の灯火となってしまった「ひかりレールスター」です。

レールスター車両はまだ活躍中ですが、現在ではほぼ「こだま」専用車に成り下がってしまっていますね。
この頃の「ひかりレールスター」は、山陽新幹線では「のぞみ」よりも主役級の人気でした。


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新大阪方の先頭車には「セミコンパートメント」が4室あります。
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この時に小倉から乗車した際には、2室が使われていて、2室が空室でした。


4号車の「サイレンスカー」の指定券を購入しておきました。
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「サイレンスカー」では、車内放送が客室内に流れず(始発駅発車直後と終着駅直前の案内だけは流れる)、車内販売の売り子さんも声掛けを一切行わないという、静かに過ごしたいという単身で乗車のビジネスマンや旅行者には嬉しいサービスを行っていました。


この時の指定券。
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「ひかり386号S」と列車名のあとに「S」が付いていて、「サイレンスカー」の4号車を指定するためには、マルス上で列車名を入れただけでは指定できないようになっていました。


「サイレンスカー」は、指定券購入時に指名買いが必要ということでか、新大阪まで終始、各窓側席が埋まっているくらいの5割程度の乗車率でしたが、ほかの指定席や自由席は大混雑でした。
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徳山のコンビナート工場群。
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九州から確実に東へと歩みを進めて、帰宅路に就いているのが実感できると、旅の名残惜しさがこみ上げてきます。



「レールスター」の一部のデッキには、「デジタル時刻表-旅指南」という、時刻表検索装置が設置されていました。
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タッチパネル式のモニターで列車の乗り換え時間や接続などを調べることができ、調べた情報のプリントアウトも可能という、当時にしてはかなり進んだハイテクサービスでした、

しかし、モニターのタッチ不良や、運用の都合で工場での修理が間に合わないなどの影響もあり、わりと早い時期に「使用できません」の張り紙が貼られたものが続出し、2000年の運行開始で2008年にはすべて撤去されるという「時代を先取りしすぎたサービス」でした。




新大阪駅に到着。
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グリーン席並みの大きくて柔らかいシートは非常に快適で、小倉から新大阪までの2時間30分はあっという間でした。



新大阪では、100系「ひかり」号に乗り換えです。
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編成中ほどの2階建て車を4両つなげた「グランドひかり」です。
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九州往復割引きっぷの、往復の新幹線にグリーン席が利用できる切符を購入していたので、新大阪から東京までは100系「グランドひかり」の2階建てグリーン車に乗車します。
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この頃の「グランドひかり」は、すでに東京-博多直通運用を「のぞみ」に譲って、東京-新大阪間で1往復が走っているだけになっていました。

九州から東京へ戻る行程は、この「グランドひかり」のダイヤに合わせて行程を組み立てました。

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100系の2階建てグリーン車の客室。天井の低い独特な雰囲気が、今見てもワクワクしますね。
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「グランドひかり」のグリーン席には、センターアームレストに液晶テレビが格納されていて、新大阪-博多間の山陽新幹線区間ではビデオ放映サービスが行われていました。

東京-新大阪間の東海道新幹線区間では、「当社の車内サービスと統一して欲しい」とJR東海が言ったかどうかは分かりませんが、センターアームレストの蓋にロックが掛けられていて、液晶テレビが取り出せないようになっていました。

この時乗車したのは新大阪から東京までの東海道区間なので、蓋にはロックが掛かっていて液晶テレビを引き出して見ることはできませんでした。
もっとも、この時はもう「グランドひかり」の運用が東海道区間の1往復だけとなっていたので、液晶テレビのサービス機器そのものが停止か撤去されていた可能性はあります。



新大阪駅を発車すると、JR東海のパーサーさんからペラペラの薄い「使い捨ておしぼり」がサービスとして配られました。



2階席からの眺めは、すれ違う新幹線の天井が視線に飛び込んでくる高さで、これも「2階建て新幹線」が絶滅してしまった今ではもう楽しめない光景です。
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グリーン席客室の電光情報表示装置。
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現代のワイドな画面にフルカラーLEDで大きな文字でハッキリと文字が流れるのに比べたら些細なものですが、当時はこの装置に次々に表示される情報にワクワクしたものです。

食堂車の「満席」表示で混み具合が分かるのも、新幹線に食堂車があった時代の懐かしいサービス。




「グランドひかり」の2階建てグリーン車の1階は、「個室」や「カフェテリア」ではなく、普通車指定席が設定されていました。
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普通車指定席ながら、座席が横4列の配列でゆとりがあったので、窓からの眺めが全く望めないにもかかわらず人気の高い席でした。

写真の前方左側に見えるスクリーンでは、眺望の悪さを補うために映画放映サービスなどが行われていた時期もあるそうです。




夕食には、新大阪駅で購入した「ひかりレールスター弁当」を食べました。
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「せっかく『グランドひかり』に乗ったなら、食堂車で食事すればいいのに・・」と思われるかもしれませんが、この頃の食堂車はすでにこの状態でした。
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食堂車は連結されていたものの、営業はすでに行われておらず、2階に上がる階段はチェーンと看板が掛かり、食堂の入口もパネルで封鎖されていて、中の様子を伺うことすらもできなくなっていました。


しかし、階下の通路の吹き抜け部分から2階の食堂を見上げると、シャンデリアや天井の間接照明が灯っていて、まるで営業しているかのような雰囲気です。
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食堂の壁面にあるデジタル速度計も動いていて、刻々と変わるスピードを刻み続けていました。
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食堂車の営業はすでに終了していた事は乗車前から知っていたのですが、フリースペースのようなかたちで開放されていることにわずかな希望を抱いていたのですが、残念ながら「グランドひかりの食堂車」を見ることは叶いませんでした。


食堂車の階下通路にある売店スペースは営業していました。
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食堂車が営業していた頃は、厨房でつくった弁当を販売したりもしていた頃があったそうです。



夜間の走行なので、せっかくの2階建てグリーン席からの眺めも真っ暗で何も見えず・・・・





新大阪から約3時間で東京駅に到着です。
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ちなみに、この時に細々と残っていた「グランドひかり」ですが、私が乗車したこのわずか2か月後の5月に、この1往復だけ残っていた定期運用も終了。

その約半年後の11月には「さよなら運転」が行われて、「グランドひかり」は消滅してしまいました。



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この後も、何度も九州旅行へは行くことになるのですが、航空各社の「超割」「バースデー割」などの割引料金が、九州往復割引きっぷを使うよりも安くて速く移動できるのを知ってしまったため、鉄路で九州へ往復したのはこの時が最後になりました。




(おわり)

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