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(約30年前のネガフィルムをデジタルサルベージした画像で、当時の模様をお伝えする旅行記です。
一部の画像はフィルムの劣化や退色などでかなり見難いことをご了承ください。)
1990年代初頭の東武鉄道は、1990年6月に100系「スペーシア」がデビューしたことによって、優等列車の新旧入れ替えの動きが活発になっていて、鉄道ファンの注目が高まっていました。
そんな中で、1990年の7月に東武博物館オープン1周年を記念した鉄道ファン向けのツアーの催行が発表されました。

(↑画像は、当時の鉄道ダイヤ情報に掲載されたツアー発表の記事)
往路はかつて東武の特急車として活躍した5700系に乗車して日光へ。
日光では撮影会などのイベントが催され、帰りは浅草までデビューしたての100系「スペーシアけごん」に乗って、一日で新旧の東武特急を堪能するという内容でした。
当時中坊だった私は、JR・私鉄に続々と当時する新型特急に、雑誌の「新型車両登場」の記事を見ては興奮していたものですが、もちろん東武の100系「スペーシア」にも興味津々。
「スペーシア」は、住んでいた茨城から比較的近い場所を走っていたこともあって、デビュー直後に友達とわざわざ乗りに行ったのですが、このツアー催行の記事を見て、「5700系」という車両に目が釘付けになりました。
記事の写真を見て、「こんなに形も色も古い電車がまだ現役で走っているのか!」と大変驚きました。
「スペーシア」よりも「5700系」のほうに興味がわいた私は、さっそくツアーに行きたいと親に相談して、ツアーデスクに電話をしましたが、タッチの差で満員御礼になってしまって申し込みすることができませんでした。
その後は、東武時刻表の巻頭特集「東武特急の歴史」やら、鉄道ピクトリアルの「東武鉄道」特集号、そしてこの「100系スペーシア&5700系ツアー」の当日のレポートの模様が載った鉄道誌を見ては、東武鉄道の古豪「5700系」に興味を募らせていました。
当時の東武鉄道の5700系は、主に遠足列車や林間学校などの団体専用列車を中心に、ごく稀に一般客向けの臨時快速で運用されていました。
しかし、茨城に住んでいて、しかもインターネットなども無い時代の中坊の私には、東武鉄道の5700系の臨時運用などをリアルタイムに知る術はなく、5700系を見たり乗ったりすることは非常に難しかったのです。
鉄道月刊誌の読者投稿レポートなどを見ていると、秋の行楽シーズンや春休みなどに、5700系が日光や鬼怒川行きの臨時快速で走っていることが分かってきました。
『そうすると、ゴールデンウィークにはかなりの高確率で5700系を使用した臨時列車が走るのではないか?』
そう考えて、ゴールデンウィークが近くなってきた頃に、東武テレガイドサービス(当時あった、東武鉄道の運行状況や行楽情報を教えてくれるテレホンサービス)に電話をして、「5700系が使用される臨時列車が走るか教えてください」と、今思うとマニア丸出しな質問をしてみました。
するとテレガイドサービスの電話口のお姉さんは、親切にもゴールデンウィーク中に5700系で走る予定の臨時快速の全ての運行日と時間を教えてくれました。
「これで、ついに5700系に乗ることができる!」と、1991年のゴールデンウィークに5700系と初対面すべく意気揚々と出掛けてきました、
東武鉄道の都心側の起点である、浅草駅へ。
5700系の臨時快速が発車する時間よりも早めに駅に行って、電車の写真を撮っていました。
1720系のデラックスロマンスカー。

今でも「DRC」とか「デラ」の愛称のほうが通りがいい、東武鉄道のフラッグシップを長年務めた特急車両。
国鉄との長期に渡る“日光戦争”において、東武鉄道に完全勝利をもたらした、革命的な特急車です。
この当時は、100系「スペーシア」はまだ一日に数往復しか走っていなく、東武特急の大半がDRCでの運用でした。
ヘッドマークのアクリル板が抜かれ、業平橋の留置線へ回送されるところです。
200系「りょうもう」。

200系は、100系が登場したわずか約半年後の1991年2月に登場。
1800系の平たい顔から一転、キツめの流線形と、赤と黒の力強いカラーリングで、登場後は一躍人気者となりました。
この頃は、ホーム先端にいる駅員さんに言えば、階段を下りてこんなアイレベルで撮影することができました。
今では考えられない大らかな時代でしたね。
200系もこの頃はまだ「急行りょうもう」でしたので、車体に描かれたロゴも「TOBU EXPRESS」です。

6050系の「快速急行 ビジネスライナーしもつけ」。

東武宇都宮駅と浅草駅を結ぶ優等列車。
300・350系登場後は「急行しもつけ」になりますが、その前身となる「快速急行」の時代の姿です。
当時の東武鉄道の全席指定優等列車(特急・急行・快速急行)は定期券での乗車が認められていませんでしたが、ごく一部の列車は定期券+指定券での乗車が特例で認められていて、その列車には「ビジネスライナー」が冠せられていました。

「しもつけ」で浅草駅の到着した列車は、折り返し野岩鉄道直通の「快速急行おじか」に。

今の「リバティ会津」の前身となる列車です。

6050系による会津田島行きは、多くが全席自由の「快速」で走っていましたが、浅草発着の朝夕2往復が全席指定の「快速急行おじか」の愛称で運行されていました。
「快速急行おじか」が浅草駅を発車していくと、入線してきたのは5700系!

その存在を知ってから約1年、ついに5700系と初対面です。
雑誌や写真で見た通りに、古めかしいベージュとマルーンのツートンカラー。
むき出し感の強い雨どいや貫通ホロ、前面から側面に張りめぐらされたウインドゥヘッダー・シル。
まさに「古豪」という雰囲気ですが、ヘッドライトやテールライトや正面屋根の丸っこさが柔らかく、厳つい顔つきの中にも優しさも感じられます。
東武テレガイドサービスの案内では、「使用される車種が変わる可能性もあります」と言われていたので、予定通りに5700系がやって来てくれて一安心。
入線後は、先頭車に「快速」の赤い種別板と、貫通路のサボ差しには「鬼怒川公園」の行き先表示板が装着されました。



駅の放送では、鬼怒川公園行きの臨時快速電車で、停車駅は快速電車と同じであること、指定券不要で誰でも乗れること、そして冷房がないことが案内されていました。
しかし、見た目のこのボロさ、そして「冷房がない」ということで、特急「けごん」「きぬ」が軒並み満席、6050系の快速は立ち客も出るほどで浅草駅を発車していく中で、この5700系はお客から敬遠されるという状況。
ゴールデンウィーク真っ只中にあって、満席には程遠い、車内は閑散としたまま浅草駅を発車しました。
次の北千住駅でも、駅の放送で「臨時快速電車で、快速と同じ駅に停車する」放送が流れていましたが、ホームで電車を待っていた客は6050系が来ると思っていたところへ来たのがこの5700系。
「うわぁ、ボロい電車?!」 「次の電車で行こう」 という会話が聞こえてくるほどで、北千住駅からもほとんど乗客は増えませんでした。
結局、この日5700系の臨時快速に乗車していたのは、自分を含めた数名の鉄道ファンと、(物好きな?)ごく僅かな一般客で、終点の鬼怒川公園駅まで非常に空いていました。
(ちなみに、この年のゴールデンウィーク中はほぼ毎日に渡って5700系で運転されたこの臨時快速ですが、日によっては一般客と鉄道ファンで活況を呈し、浅草駅発車の時点で満席で、途中駅からの乗車で立ち客まで出た日もあったそうです)
車内はラクダ色のモケットが張られた転換クロスシートがずらりと並びます。

シートにはビニルカバーが被せられていて、「あさやホテル」の広告が入っていました。
壁面も明るいベージュ色で塗られていて、全体的に1720系デラックスロマンスカーへ通じる雰囲気が感じられました。
駅の放送で「冷房はありません」と案内された5700系。 天井には個別で動かせる扇風機が付いていました。

(扇風機のスイッチは、壁面の窓間に設置されていました)
運転台は、非常にシンプルな作り。

当時の東武日光線系統の「快速」は、料金不要にかかわらず停車駅をかなり絞っていて、かなりの速達タイプの種別でした。
それが一般客からの支持が高かった所以であり、繁忙期以外でも普段から高い乗車率を誇っていた理由でもありました。
(浅草-北千住-春日部-東武動物公園-新大平下-栃木-新栃木-新鹿沼-下今市・・・と、現在の有料特急並みの停車駅の少なさ)
この日の5700系も、臨時とはいえ停車駅は通常の「快速」と同じに設定されていたので、北千住から先はかなり速度を上げて運転されていました。
しかし、5700系の高速運転は、素人目にも「老体に鞭打つ」ような苦し気な走り。
フルパワーで唸りっぱなしのモーター音は車内放送はおろか、隣の席の人との会話も聞こえないんじゃないかと思うほどの爆音が車内に響き渡ります。
台車が刻むレールのジョイント音も、カタンカタンなんて軽快なものではなく、ダダダン!ダダダン!と、床下で機関銃でもブッ放してるかのような豪快さ。
縦揺れ横揺れは、台車から直接座席に伝わってきているかのような凄まじいもので、車内の乗客が全員同時に同じ方向に揺れるという。
普段から乗っている電車で、せいぜい古くても常磐線の403系が古参だった私にとっては、この5700系の走行中に体験したすべてが「カルチャーショック」でした。
下今市駅に到着。

6050系の快速電車だと、ここ下今市駅で東武日光行きと鬼怒川・会津方面行きに切り離しが行われたりしますが、5700系の臨時快速は6両全部が鬼怒川公園行きで、切り離しはありません。

下今市では10分ほど停車して、単線の鬼怒川線をやってくる上り列車の到着を待ちます。

待ち合わせの対向列車は、デラックスロマンスカーのきぬ号でした。
終点の鬼怒川公園駅に到着です。

5700系はしばらくホームに留め置かれたままになるので、前年に参加できなかった「スペーシアと5700系ツアー」の撮影会よろしく、鬼怒川公園駅にてセルフ撮影会です。
(もっとも、イベントではなく通常運用なので、特別なヘッドマークの掲出などはありませんが)
同じ臨時快速でここまで来た鉄道ファンも、熱心に5700系を撮影していました。
「快速」の赤い種別板はすぐには外されず、しばらく付けたまま留置してくれたのは、東武鉄道のファンサービスだったのかも。

「モハ5701」

この時たまたま撮っていただけですが、現在は東武博物館にネコひげ先頭車に復元収蔵されている車両ですね。


先頭車の「鬼怒川公園」の行き先表示板も、しばらく付けたままでした。

1番線に100系「スペーシアきぬ」号が到着。

ホームを挟んで、5700系と100系スペーシアの並びを見ることができて、感激しました。
この並びを撮ることができて、参加できなかった前年のツアーのリベンジが果たせたかのようで、非常に嬉しかったです。


しばらく付けたままだった種別板と行き先表示板が外されると、5700系は下今市へと回送されて行きました。

このあと5700系は下今市の留置線で時間をつぶし、夕方遅い時間に東武日光発浅草行きの臨時快速に充当されます。
東武日光まで行って、帰りも5700系の臨時快速に乗ろうかとも思いましたが、帰りは100系スペーシアに乗ることにしました。
(前年のツアーも往路が5700系、復路がスペーシアけごん号だったので、それの模擬再現みたいな感じで)
鬼怒川公園駅始発のスペーシアきぬ号に乗車。

この当時は、100系スペーシアが使われる特急は本数が少なく、とくに鬼怒川公園駅発のスペーシアは14時05分発の「スペーシアきぬ」120号だけだったので、5700系の臨時快速から鬼怒川公園駅でそのまま折り返し乗車できたのは奇跡的でした。
-----この当時の100系スペーシア充当列車-----
浅草発下り特急
07:20発 けごん1号 東武日光行き
09:00発 けごん9号 東武日光行き
11:30発 きぬ117号 鬼怒川公園行き
12:30発 きぬ119号 鬼怒川温泉行き
14:30発 きぬ127号 鬼怒川温泉行き
17:00発 きぬ133号 鬼怒川温泉行き
20:10発 けごん39号 東武日光行き
上り特急
09:03発 きぬ104号 新藤原始発
10:14発 きぬ106号 鬼怒川温泉始発
12:10発 きぬ114号 鬼怒川温泉始発
14:05発 きぬ120号 鬼怒川公園始発
16:40発 けごん26号 東武日光始発
17:40発 けごん32号 東武日光始発
19:30発 きぬ138号 鬼怒川温泉始発
3号車のビュッフェの窓無し部分に描かれた「SPACIA」のロゴマーク。

今のスカイツリー仕様のスペーシアロゴと比べても、当時のロゴのほうがスマートで洗練されたカッコよさがあるように感じる人は多いと思います。
反対サイドの「SPACIA」ロゴは、4号車の乗車口脇に、小型のものが描かれていました。

下今市では東武日光からの接続列車待ちで数分停車。

この頃のスペーシアの座席はオーディオ装置が組み込まれていました。

ヘッド部分の両脇から出っ張ったヘッドレスト部分にはスピーカーが仕込まれていて、イヤホンやヘッドホン無しで音楽やラジオ放送が楽しめました。
アームレスト内側にある白いオーディオ操作パネル、そして、外側アームレストの先端にある灰皿ポケットにも注目。
浅草方先頭車の6号車は、1両全部が個室専用車両。

定期運用の特急車両では、寝台特急を除く昼行特急で1両まるごと個室のみで設定された車両を連結しているのは、JR東日本が「サフィール踊り子」を登場させるまでの約30年間、東武鉄道のこの100系スペーシアが唯一の存在でした。
個室の内部は、床面が絨毯敷きで大型テーブルは大理石。至る所が金のトリムで飾られている豪華仕様。

座席車・個室車とも、内装は銀座東武ホテルのインテリアデザインを担当したロバート・マーチャント氏がこのスペーシアのためにデザインを施し、正真正銘の「走るホテル」となっていました。
スペーシアの個室車両のエンブレム。

6号車の乗車ドア脇のほか、車内の個室車入り口のデッキにも掲出されていました。
今見ても「スペーシア」らしい色遣いと格調高いデザインが素晴らしいエンブレムです。
浅草駅に到着です。

5700系と100系スペーシアに乗る、東武特急の歴史を体感するワンデートリップでした。
(おしまい)
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京九快速
前の名前忘れましたさん こんにちは
コメントありがとうございます。
私の記憶では、300系をデザインしたのはTDO(651系や251系などをデザイン)で、東武100系スペーシアは東武鉄道と製造会社が共同でデザインしたものだったと思います。
たしかに、あの流線形はどちらも似通ったものがありますね。
500系のリバティの先頭車は、貫通型であの美しい造型というのは素晴らしいデザインですよね。
先頭車同士が顔を突き合わせるシーンもダイナミックです。
05
19
23:39
タムタム
5700系、今だったら鉄オタで満員?開閉式の2段窓、天井の扇風機だけでもマニア心くすぐりそう。駆動機関ももしかしてカルダン駆動?だとしたら今のVVVFインバータ制御と異次元のものでしょうから。
05
20
16:39
京九快速
タムタムさん こんにちは
コメントありがとうございます。
東武5700系がもし今でも現役だったら今年で70歳ですから、奇跡の動態保存車だったでしょうね。
当時でもかなりの人気がありました。
ウェブ検索すると、ゴーナナを熱心に追いかけていた方のサイトやブログが見つかります。
それだけ多くの人が記録していたということですから、運転日には多くのファンが乗ったり撮影したりしていたようです。
ネコひげに復元された先頭車が東武博物館で保存されていますが、貫通型先頭車も味わい深い良い表情の顔だったので、貫通型先頭車もぜひ後世に残してほしかったなぁと思います。
05
21
18:32
前の名前忘れました
100系のスペーシアと300系新幹線の外観はとてもよく似ていますが、メーカーの設計者が同じ人だったのですかね?
その点からすると今のリバティは非常に東武らしい未来チックで個性的な外観になったと思います。
あと鉄道車両というのは実際に乗らないことには本当の魅力がわからないので、実物はやはり100系スペーシアと300系新幹線では全く持ち味が違うということでしょう。
05
18
21:39