fc2ブログ

07

30

コメント

お引越ししました

「lounge SRG」、長らくエキサイトブログさんでやってきましたが、今回FC2ブログさんへ移転しました。

たぶんブログへの記事アップは、以前どおりの超・スローペースになると思いますが、どうぞ今後もよろしくお願いいたします。
(ちなみに過去記事は、左の「リンク」にある「lounge SRG 旧館」から見られます。)

10

30

コメント

1985に見た2001

南東北の旅行記をちょっとお休みして、本日は違うネタで。


唐突ですが・・・

「科学万博・つくば85」をご存じ無い方には、このブログの記事はさっぱり分からんちんだと思うので、とりあえずそゆことで。


1985年につくばで開催された「国際科学技術博覧会」。
つくばが今のようなインテリジェンス溢れる(?)街に変貌したキッカケが、このEXPOの開催だったんじゃないかと思います。
立体映像に、回転劇場、滝に映像を写すシアターやらいろいろありましたが、多種多様な「ロボット」が各パビリオンで公開され、様々なショーを演じたのが印象に残っていると言う科学万博体験者は多いのでは?
似顔絵ロボット(松下館)やコマ回しロボット(東芝館)、氷柱削りロボット(日立館)、エレクトーン演奏ロボット(テーマ館)などなどが思い出されますが、科学万博でロボット・・・といえばあそこですよね~。

「芙蓉ロボットシアター」

他のパビリオンのロボットが、関節剥き出しのいかにも「工業用」「業務用」といった風貌だったのに対して、この「芙蓉シアター」のロボットはすごかった!!
200910fuyo021.jpg
(↑ 当時のパンフレットより)

機器の部分を全て覆い隠し、キャラクター性を持った風貌のロボットが20種類50台。
これら全てが全自動で動き出し、インプットされた演技をシアターで演じ、終わると自動でダグアウトに戻るという驚きのショーを繰り広げていました。

メカニックな点でもスゴイですが、それ以上に各ロボットのデザインがスゴかった。
ロボットのデザインは「曲線の魔術師」と呼ばれるルイジ・コラーニ氏。
当時小学生だった私ですが、このロボットを見て、もうブッ飛びでした。
多分、「脳天に雷が落ちる」という感覚を初めて味あわせてくれたのがこのロボットではないかと思います。

今はデザイン関連の仕事に携わっているわけではないですが、興味を大いに持ってデザイン本を読んだりしているのは、1985年にこのロボットたちに出会えたからじゃないかな、と。


さて、相変わらず前置きが長いですね。どーもすいません。
そのロボットたち、科学万博が終わってどこに再就職したのかも分からず、おそらくは解体されたんだろうと思っていました。

そしたら! なんとつくばに里帰り(?)してましたよ!


つくばエクスプレス「研究学園」駅前にあるショッピングセンター「イーアスつくば」
その2階にある「サイバーダインスタジオ」にロボットたちはいました。

入り口で入場券(大人は500円)を買って、中に入ると・・・

「フラッグ・リーダー」がお出迎え! いきなりテンション上がりまくり!!
200910fuyo001.jpg

200910fuyo002.jpg
赤いバトンをクルクル回しながら、その後ろのフラッグロボットを率いてマーチするロボットでした。

ボディには「ロボットファンタジー2001」(ショーの題目)のロゴ。
200910fuyo003.jpg
若干掠れていますが、しっかりと読み取れます。

「フラッグリーダー」の後ろには、当時の編隊のままに「フラッグロボット」が。
200910fuyo004.jpg
棒状の部分に旗を付けて、音楽に合わせてその旗を振るロボットでした。

「フラッグリーダー」と「フラッグロボット」の隣には「ファミリーロボット」。
200910fuyo005.jpg
こちらはメインシアターの前にあるエントランスショーで「ロボット村の一日」みたいなお芝居を演じていたロボットです。親機が2機と子機が3機で、画像のブルーのほかもう一家族のレッドがありました。


そして、さらに先へ進むと・・・・
200910fuyo006.jpg
おおおぉ! 当時のメインシアターを髣髴させる展示ホールがぁ!!

ロボットショーのメインであった「フレンドロボット・マルコ君」!!
200910fuyo007.jpg

200910fuyo008.jpg
24年の時を経て、こんなところで再会できるなんて!!感激すぎる~!!
しかも、マルコ君が牽引して走る「カート」まで!!

こうして見ると、24年前に「ゆるキャラ」の下地としてなるものがあったのかも。
200910fuyo009.jpg
今、なにかのマスコットとして採用されたら、けっこうウケるかも?

「カート」は、もうね、ルイジ・コラーニデザインの真髄炸裂。
200910fuyo011.jpg
この流麗なカーブライン。先生の得意とするところですね。
てか、これだけのデザインなのに、今もう全然使われてないところがもったいねぇー!!

ドア部分にはコラーニ氏のサイン。
200910fuyo012.jpg

マルコ君の左腕?にはこんなスイッチがありました。当時は全然気がつかなかった。
200910fuyo010.jpg
「FRIEND1」「FRIEND2」のスイッチは、1号の「ミライ君」と2号の「マルコ君」のデータの切り替えスイッチとか、かな?(そういえばお兄さんの「ミライ君」はどこに行ったんだろう)

当時のパンフレットより。
200910fuyo024.jpg

200910fuyo025.jpg
カバーを外すと、けっこうグロい(笑)

「マルコ君」の反対側には、ドピンクの目玉ロボット(笑)
200910fuyo013.jpg
「チアガール・ロボット」です。
ショーでは、「フラッグリーダー」や「フラッグロボット」たちとシアターに登場し、マーチングを演じていました。両脇のポンポンを振りながら腰を回したり、首をくねらせたりして踊っていました。

個人的に「オバケのQ太郎」の「U子さん」を思い出すのですががが(笑)
200910fuyo014.jpg

大きな目玉は、腰や首の動きにあわせてキョロキョロ動きます。
200910fuyo015.jpg

とにかく曲線の滑らかさが美しいです。無駄な凹凸が無く、光の反射が艶かしい。
200910fuyo017.jpg

当時のパンフレット画像。
200910fuyo022.jpg
24年経った今でも、その姿が全く変わっておらず、保存状態の良さが感じられます。

「チアガール・ロボット」も、その曲線カバーを外すとこんな感じ。
200910fuyo026.jpg
中はとってもメカニカル。

チアガールに圧倒されて、その足元で目立たないのが「ベビーロボット」。
200910fuyo016.jpg
ブルーとピンクの2色がありましたが、居たのはピンクだけ。
こちらはちょっと状態が厳しく、ヘコミやひび割れが見られました。

ちなみに、このベビーロボットはショーの始まりにナビゲーターのコンパニオンさんとステージに登場し、全てのロボットたちを眠りから起こして動き出させるという(ストーリー上の)重要な役を担っていました。

展示ホールを離れて次の展示へ向かう途中に、ひっそりと「デュエット・ロボット」。
200910fuyo018.jpg
見たまんま、男性と女性を模したロボットで、ショーの中ではロマンスを演じるロボットでした。

200910fuyo019.jpg

200910fuyo020.jpg


これらのロボット、科学万博の会期終了後にアメリカのディズニーから譲って欲しいと言うラブコールがあったそうです。結局はボディを覆うFRPの耐久性とメンテナンスの面でディズニー側の要求を満たすことができずに、ロボットたちは海を越えることはなかったそうな。


「サイバーダインスタジオ」の館内は写真撮影が禁止されていますが、この「科学万博ロボットコーナー」だけは写真撮影ができるようになっています。
当時は客席から遠目に見ることしかできなかったロボットたちですが、ここではすぐ目の前でみることができます。

思わず、24年前の「童心」に返ってしまった一日でした。

01

05

コメント

おかげさまで、10周年

「SONIC RAIL GARDEN」は、2011年1月8日で、おかげさまで10周年を迎えることとなりました。
10年前からずっとお付き合い下さっている常連様から、最近SRGを見に来るようになったという方まで、全ての閲覧者の方々に厚く御礼申し上げます。


10年前・・・・
感覚的には、つい最近のことのような感じがしますが。
10年前は、2001年。

インターネットで遠くの人と、画面の前で交流するということを知ったのはちょうど同じ頃で、JRシステムさんの「サイバーステーション」のメンバーズコンテンツで、電子掲示板への書き込みで多くの方と「会話」をして、そこでネット上でのマナーやエチケット、インターネットの持つ恐ろしさ、さらにはウイルス感染まで経験(笑)して、インターネットの基礎を学びました。
そして、ホームページ作成への関心を持つようになり、実際に立ち上げまでできたのも、このコミュニティがあったからこそでした。


私が初めてパソコンを買ったのは2000年で、OSは「windows98」。
本体は、当時「パソコンの価格破壊」で話題になっていた、SOTEC社の99,800円パソコンでした。

この頃、インターネット接続はまだまだダイヤルアップが主流。
私ももちろん自宅でダイヤルアップでインターネットを見てました。
画像の多いサイトなんかは、画像が全部出るまで時間が掛かって、通信料で命懸け(笑)
見たいサイトをあらかじめ決めておいて、短時間に一気に廻って、キャッシュの情報であとでゆっくり見るとか、そんな大変な思いをしてました。今思い出すと笑っちゃいますね。

企業サイトなんてものも「大手企業」の一部が、今からするととてつもなくささやかな内容のサイトを開設しているに過ぎない程度だったように思います。
今では当たり前の「航空券のネット予約」がすごいツールだったし、「特急指定券のえきねっと割引購入」なんてものは影も形もありませんでした。

そんな10年前を思うと、大袈裟ですけど「SONIC RAIL GARDEN」は、インターネットを取り巻く環境・社会・技術がものすごく発達した時代の波に載って、まさにタイムリーに多くの皆さんの目に留まるところへ飛んでいくことができたのだなぁなんて思います。


10年間で、サイト総更新回数は、746回。
10年間で、半年ほど更新のお休みをいただいたことが2回。
10年間で、サイト名称変更が1回。
10年間で、総アクセス数は約146万アクセス。
(ただしindexページから入った場合のカウントのみ。総ページビューでは今や1日約500~1000アクセスしていただけるまでになりました。)




「10周年」ということで、サイト名を変えようかとか、サイトタイトルのロゴをアーチストなお友達に依頼しようかとか、サイト内の構成を大きく変えようかとか、実は半年以上前からいろいろと考えていたのですが、10年掛けて培ってきた「SONIC RAIL GARDEN」という名前やイメージは、きっとこれまで見続けてくださった皆様の中にもう根付いているのではないかと思い、これらをわざわざ変えてしまうこともなかろうと思いまして・・・・

結局「10周年」といっても、特に何かが変わるということはありません。
そんな「何か」を期待していた方には、、、、、、ごめんねごめんねー(笑)


まぁ・・・・せっかくなので・・・・
ちょっと恥ずかしい、昔の「SONIC RAIL GARDEN」をお見せします。
懐かしい方も、初めて見たという方も、どうぞご覧笑くださいませ。

---------------------------------------------------------------------

10th-index.jpg
▲3代目くらいのフロントページ。
これより前のものはHDDクラッシュと共に逝ってしまい残っていませんでした。
ちなみに「SONIC RAIL GARDEN」のサイト名は、サイト開設2年目から。
最初の1年は「パンダの丸めがね」というサイト名でした。

10th-top.jpg
▲これも3代目くらいのコンテンツトップ。

10th-zaseki1.jpg
▲奇跡的に残っていた、初期アップの「座席探訪」ページ。
最初は車種ラインナップがこれしかなかった。

10th-zaseki2.jpg
▲初期の「座席探訪」はこんな感じでした。(画像は小田急20000形RSE)

10th-zaseki3.jpg
▲ごく一時期だけ公開していた、座席探訪の英語版。香港や台湾からのアクセスが多いための対応。
日本語ページに翻訳サイトのページ翻訳機能をかませるというアクロバティックなページ(笑)

10th-toritetsu.jpg
▲初期にはこんな「撮り鉄」なコンテンツもあったらしい。

10th-china.jpg
▲中国に留学していた頃に撮った写真なんかを公開していたページ。

10th-hotel.jpg
▲旅行先で泊まったホテルを紹介していたページ。

10th-mokei.jpg
▲改造や塗り替えで作ったオリジナルの鉄道模型を紹介していたページ。

10th-neko.jpg
▲飼い猫のグータラな日々を綴ったページ。一部で大反響(笑)

10th-keijiban.jpg
▲掲示板があった頃に、掲示板へ入る前のお願いのページ。
私自身も掲示板で多くの方と知り合って、年に何度もお会いするような友人となった方も多くいます。
ただ、若年層の書き込みを中心に掲示板が荒れ始め、5年ほどでやむなく閉鎖。

10th-shoukai.jpg
▲管理人紹介のページ。これは3代目くらいのもの。
某ゲームの影響を多大に受けているのがよく分かります(笑)

--------------------------------------------------------------------------------



これからも「SONIC RAIL GARDEN」を、お暇な時でいいので覗きに来て下さるとありがたいです。
どうぞ今後とも皆様には引き続きのご愛顧、よろしくお願いいたしたく存じます。

03

13

コメント

生存報告

こんばんは。なんとか生きています。まだ余震が数分おきにきて揺れています。
自宅倒壊はなかったものの、部屋の中はぐちゃぐちゃで呆然としています。
電気と携帯の電波は今日からやっと通じるようになりましたが、電気は計画停電が明日からある模様。携帯は10回に1回繋がると言う程度で、途中で混線して切れたり。
コンビニ、スーパーには何も無く、GSは1時間半から2時間待ちで1台10~20L制限つきの状態です。
常磐線脇の道を通ってきましたが、架線の柱が傾いていたり盛り土が抉れていたりしていてすぐには復旧できなさそうでした。
道路もところどころで小さく盛り上がったり割れたりしています。
ネット環境もあまり良くなく、やっと繋がったら切れたり。
コメント返答できなくてごめんなさい。とりあえず無事です。ちょっと不便な生活ですけど、家があって暖が取れて、今こうして生きているというだけで幸せだと思います。

03

15

コメント

がんばってます!

多くのコメントありがとうございます。たくさんのコメントに心から励まされ、勇気付けられました。頑張っていこうという思いになれました。本当に本当にありがたかったです。嬉しかったです。皆様には心から感謝いたします。



私の住んでいるところでは奇跡的にも水・ガス・電気の復旧が速く、インフラ面では不自由なく生活が送れています。水は普段の半分くらいの水圧でしか出ませんが、それでも蛇口から水が出るというだけでかなり幸せなことです。常磐線を隔てた線路向こうでは水道の復旧は来週になるとか。
しかし食べ物とガソリンはかなり厳しい状況になってきました。ガソリンは1時間並んで10Lの制限でしたがなんとか給油。米・パンなんかはどこも皆無で、偶然に肉まんが売っていたのでそれを買って冷凍保存にしました。


今日は仕事が休みだったので部屋の片づけをしました。
目を覆うばかりの惨状となっていた部屋ですが、片付けてみたら不思議と壊れてたり割れたりしていたものはありませんでした。飛行機の模型なんかも、箱ごとギチギチに棚に詰め込んでいたためか、棚から崩れ落ちることなく、棚にキレイに収まったままで倒れていました。
パソコンも無傷で、モニターは倒れていましたが液晶が割れたりはしていませんでした。


まだ余震が一日中続いているような状態で、気分的にも参っていますが、東北で一番ひどい被害を受けられた被災者の方々が寒さに耐えているのを考えれば、私はなんと幸せなところにいるのだろうと思います。


これから、全てがどうなっていくのか。予測も見当も付きませんが、自分のできることから精一杯やっていきます。
まだ趣味のおはなしをブログでしていける状態にはありませんが、また近いうちに、これまでどおりに電車や旅客機や旅行の話題で、コメントを交わしながら楽しくやっていけることができればと思います。

03

26

コメント

きっとまた、どこかで会える。

3月のダイヤ改正で、ついに常磐線特急は全便がE657系新型特急で統一されました。

これまではすぐそこを651系「スーパーひたち」、E653系「フレッシュひたち」が走っているのが当たり前・・・というより、別に気に留めることもない、ごく日常のことだと思っていましたが、今ではE657系しか走ってこない現実に徐々に慣れてきたような気もします。


651系とE653系の今後の移動転属については、あれこれいろいろと噂話が飛び交っていますが、「常磐線の定期特急」としてはもう2度とこの「常磐線のエース」と言うステージには戻ってはこないでしょう。

今までの特急車の中で、どの列車よりも一番かっこいいと思っていた651系。
「今日は何色かな?」と、ホームで到着をちょっとワクワクさせてくれたE653系。



いつも一番近くにいてくれた651系とE653系に「ありがとう」と「新天地でも頑張れよ!」という思いを込めて、
今回、期間限定公開というかたちでお別れコンテンツを作ってみました。

http://hp1.cyberstation.ne.jp/polomerria/651index.html

※2013年3月25日をもって公開を終了いたしました。

自分の持っているグッズや写真などを公開する、多分「自己満足」っぷりが痛々しい(笑)コンテンツになっていると思いますが、常磐線の定期運用特急から引退する彼らに「どれ、第一線を退く前にいっちょ乗ったろうか?」ということにでもなってくれれば、とても嬉しく思います。



■■更新情報■■
・2013年1月5日 さようなら651系「スーパーひたち」コンテンツ公開開始
・2013年1月5日 「オレンジカード」のページを公開開始
・2013年1月10日 「指定券・グリーン券」のページを公開開始
・2013年1月17日 「新聞記事・雑誌・車内販売メニュー」のページを公開開始
・2013年1月23日 「パンフレット・チラシ」のページを公開開始
・2013年1月29日 「グッズ」のページを公開開始
・2013年2月6日 「フォトスライドショー」のページを公開開始



□□スライドショーのあとがきみたいなもの□□

BGMはSENTIVE.NET(http://sentive.net/)様の楽曲を使わせていただきました。
SENTIVE.NETさんの楽曲は、ネット配信の自作ゲームや同人向けのゲームの曲として使われていることが多いみたいですね。
たくさんある無料配信の楽曲の中から、気に入った曲を数曲に選びこみました。
どれも使いたい曲ばかりで、1曲に絞り込むのは曲の長さと画像枚数との照らし合わせが大変な作業でしたが、けっこう楽しかったように思えます。
最初は、ボイスレスの勇壮なイメージのBGMに決めたのですが、最終的には「passing days」に決定。
どんなイメージでこの曲に決めたのかは、歌詞を聴いてみれば分かって頂けると思います。


・扉のページ
651-001.jpg
画像をよく見てみると分かるのですが、「K202」編成の画像です。
みなさんご承知の通り、東日本大震災と原発事故の影響で、原ノ町駅に取り残されてしまった編成です。
仲間の元へ帰れない不遇の車両。
今回、どこかのページで、あえて「K202」としてわかる画像を選んであげたいということで、この画像にスライドショーのトップを飾ってあげました。


・『淡雪梅』
651-014.jpg
もはや説明するでもない、常磐線で最も有名な名シーンですね。
この頃は651系が30分~1時間おきに来る頃だったので、何度も撮影チャンスがありました。
最後となる今年の梅の時期には、たくさんの鉄道ファンでごったがえしそうですね。


・『さくらの花の咲く頃に』
651-013.jpg
土浦の桜川を渡る651系。
ここは毎年、桜の季節になるとたくさんの花見の人が訪れる場所です。
土手にはたくさんの車が停まってしまうので、土手に全く車のいない瞬間に撮るのはけっこう大変でした。


・『サマーレインの中を』
651-008.jpg
雨の中を走る651系を、車の中から流し撮りした画像です。
けっこうな雨量だったのですが、流してしまうと雨の中を走っている感じが全然しないですね・・


・『ダイナミカル・エアロリズム』
651-007.jpg
個人的に、流線型の先頭車同士が連結されて走っているシーンが好きなので。
東北・山形・秋田新幹線の連結部分とはまた違った、ダイナミックな感じが好きでした。


・『初夏の訪れ』
651-010.jpg
常磐線の定番撮影地「トリフジ」です。
けっこう「爽快」なイメージで撮れたかな?、と思っておりますです。はい。


・『緑の中を』
651-012.jpg
常磐線沿線の地元ファンなら、きっと誰でも知っている、あの山の中腹からの俯瞰撮影です。
5月~初夏の頃には、見渡す限りの緑色の中を走っていく真っ白い651系は、まるで模型の電車のようです。


・『素顔』
651-006.jpg
流線型の先頭車を、あえて広角レンズで「むにょ~ん」という感じまで迫ってみました。
サイドから流し撮りでいう構図で撮影することが多かったので、この画像はちょっとした「実験」みたいに狙ってみました。


・『目覚めの睡蓮』
651-009.jpg
ここも地元鉄の人にはよく知られた場所かもしれません。
蓮の花は早朝のごく僅かな時間にしかキレイに咲かないので、季節と時間が限定されるシーンです。
ちなみに、満足いくまで「651系と蓮の花」を絡めて撮るのに、4日間ほど早起きして撮影しました。
現在は、すでに早朝に運転されている651系はないので、もう撮ることはできないでしょうなぁ。


・『シーサイド』
651-003.jpg
以前から撮りたいと思っていた、海をバックに走る651系の画像。
本当はいわき以北の、広野あたりの太平洋をバックにして走る651系を撮りに行こうと思っていたのですが・・・叶わぬ夢となってしまいました。
というわけで、海と651系を絡めた画像は、これだけしか撮れませんでした。


・『朝焼け』
651-002.jpg
水戸-勝田間の鉄橋を行く651系。
この朝日にギラリと光る651系を撮りたくて、自宅を午前3時に出発して現地に向かった、個人的に「根性」の1シーンです。
この画像も、今は早朝に走る651系の運用がなくなってしまったので、今となっては撮れないものになってしまいました。


・『数秒の逢瀬』
651-011.jpg
今回の画像の中で、もっとも撮影に苦労した1枚です。
この頃は651系が1時間ヘッドで上野-水戸間をノンストップで走っていたので、上下列車がすれ違う場所というのがほぼ同じ時間・同じ場所になります。
時間と距離を計算して、「多分このあたりがすれ違う場所だろう」と出かけていったのですが・・・・
たしかに「すれ違う」地点ではあったのですが、上下列車のやって来るタイミングが数秒でもズレてしまうと目の前ですれ違ったり、上下列車のどちらかが先に行き過ぎてしまって数秒差ですれ違わなかったりと、とにかく骨の折れる思いで20~30回ほどチャレンジして、やっと撮れた「すれ違い」シーンでした。


・『吹雪に吼える』
651-005.jpg
誰でも1度は撮ってみたい、雪中走行シーン。
しかし首都圏では、「雪が降る=運行停止」みたいなことが「お約束」なので、実はなかなか雪中に走行写真を撮るというのはチャンスが限られてしまいます。
この時はかなりの降雪量だったのですが、運良く常磐線は数分の遅れで走っていたので、651系も撮ることができました。
今回の画像の中で、個人的に好きな1枚です。




□□おわりに□□
中国の有名な思想家であり小説家でもある「魯迅」は、日本への留学時代のことを語った「藤野先生」という小説の中で、このようなことを書きとめています。

『私はそれで仙台の医学専門学校へ行った。東京を出発すると、まもなくある駅についた、日暮里と書いてあった。どうしてなのか知らないが、私は今でもその地名をよく覚えている。その次に覚えているのは水戸だけで、ここは明の遺民、朱瞬水先生が客死した土地だ。仙台は市街であったが、あまり大きくはなかった。』

時は1904年。

もう100年以上も昔に、あの魯迅が辿って行った東京から仙台への道。
それが常磐線であったこと。

きっと651系やE653系がひたすらに走り続けたこの「道」は、歴史の中ではほんのごく僅かな時間かもしれないけれど、私は651系やE653系と過ごせた、きっとごくささやかなこの時間を与えてくれた神様に感謝しています。

02

07

コメント

加油、台湾!!

台湾東部地震の被害が想像していたより甚大で、大変なショックを受けています。

今回の地震で被害が大きかった東部のいろんな都市へは、台湾へ旅行に行く度に足を運びました。

台湾の人々は、いつ行っても、どこに行っても、日本人に対してとても親切で優しくしてくれます。
お店やホテルの方々はこちらが日本人だと分かると、嬉しそうに知っている日本語を使って話しかけてくれます。
台鐵の職員さんは「普悠瑪や太魯閣は日本製だぞ!」と、誇り高そうに喜んで自慢してくれます。

今度は、私たち日本人が3.11の時の恩返しをする時だと思います。
あの時、「もう日本はダメだ」と諦めた日本人に、台湾の人々が生きる強さをくれたような気がしました。

現地の人たちの無事と、一日も早い復興を祈ります。

加油、台湾!!

12

30

コメント

2020年巣籠もり生活を送った結果


2020年も「lounge SRG」並びにメインサイト「SONIC RAIL GARDEN」をごひいき下さりまして、誠にありがとうございました。

ブログのほうでは定期的に旅行記をアップしていたので、ブログの記事アップの流れだけ見てると「あちこち出掛けてるんだなぁ」という印象があったかもしれませんが、ほとんどが過去の旅行の模様を記事にして出してただけで、今年一年は全くと言っていいほどお出かけしていません。(9月に鉄道博物館、10月以降にサフィール踊り子に2度乗りに行って、11月に1泊2日で南九州へGoto利用で出掛けたくらい)

今年は早い時期から「コロナ禍」にあったので、いろいろと出掛ける予定をキャンセルせざるを得ませんでした。



続きを読む

01

08

コメント

おかげさまで SONIC RAIL GARDEN は20周年


というわけで、2021年1月8日でホームページ開設から20周年を迎えることができました。


実のところは「SONIC RAIL GARDEN」というサイトがオープンしたのは、2002年2月22日なんですけど。

その前身となる、ヘボいホームページをJRシステムさんの「サイバーステーション」というところで立ち上げたのが最初で、それが2001年1月8日のことだったようです。

初期の頃からお付き合いのある方々から、最近ブログにコメントをお寄せくださるようになった方々まで、うちのホームページをご覧下さる全ての皆様に感謝しております。




ここ1~2年は、ほとんどサイトの更新もなく、ブログで旅行記なんかを書いてるぐらいの活動になってしまっております。

たぶん、昔からうちのサイトを見に来て下さっている方は、「座席探訪どうなった?!」って思っている方が多いと思うんですが、正直なところ、以前のようにじっくり構成を練って、画像を取捨選択して、文章を考えて何度も校正して・・・という作業に、気力と時間が追っついてこないというのが現状です。

あと、20年前のホームページ開設当時からこの「座席探訪」というコンテンツはあったのですが、ほんの10年くらい前までのインターネット環境は、今のような高速回線で常時繋ぎっぱなしという環境ではなく、ホームページに一度に大きな画像を載せると全てを読み込むのにとんでもない時間とネット接続料が掛かるという時代だったので、たくさん画像を載せたい「座席探訪」ではサムネイル画像を小さめに、ギリ数秒のうちにページ内の画像の読み込みができるという計算の上にページ作成してました。

それが今の時代にはそぐわない(「なんでこんな小さい画像をいちいちクリックして大きい画像を見なきゃならんの?」という疑問を感じた若い方も多いかと)ものになって、同じコンテンツ内にあって、昔からあるページと近年更新したページが全く別モノみたいなってしまっているのを、新規アップしながら古いページの更新もしなきゃという変なストレスが生じて、余計に更新が遅々として進まない原因になっているような気もします。

(以上、更新が進まない理由について、管理人からの言い訳でした。)




最初にホームページを始めた時は、「たぶん途中で飽きて5年くらいで放置→消滅かな」と思っていましたが、まさかここまで続くとは思ってもいませんでした。(10周年の時にもあいさつで同じようなことを書いてた・笑)


20周年記念のトップ画像は、今回数種類を作成しました。
時折きまぐれで画像が入れ替わるので、よかったらお確かめください。
(ランダム表示のタグは仕込んでないので、F5アタックしても画像は変わらないよ!)



それでは、次回は2031年の30周年の時にお会いしましょう! ごきげんよう!(え?)



01

18

コメント

昔に撮った写真のネガフィルムをスキャン


タイトルの通りなんですが、過去に撮影したフィルム写真のネガをスキャナーでデジタル化する作業を3日間掛けて行いました。

以前から「いつかやらなきゃなー」と思っていたのですが、なかなか実行に移す時間がなく。

今回、「36ぷらす3」に乗りに行く予定で取っていた3連休をこの作業に充てました。


最初はフィルムスキャナーを買おうかなと思ったのですが、実際に高い金を出して買ってみたら「性能がいまいち」とか「使い勝手が悪い」とかだったら悲しいので、今回はネットでいろいろな家電やカメラをレンタルしている「レンティオ」さんで、ネガスキャナーをレンタルしてみました。

レンタルしたのは、KENKOの「5インチ液晶フィルムスキャナー KFS-14WS」という商品です。
scan001.jpg

このスキャナーは、フィルムをいちいちホルダーにセットして付け替える必要がなく、ネガを本体の脇からスルスルと差し込むだけでいいので非常に使いやすく、スキャン作業を流れるように一気に進めることができました。

本体正面の5インチの液晶画面も、ネガに何が写っているのかが大画面で確認しやすかったです。
scan002.jpg
(スマホで本体を撮影したので、液晶画面が青み掛かって見えますが、実際はもっと色鮮やかで鮮明に見えます)





続きを読む

プロフィール

京九快速

Author:京九快速
ちょいちょいアップします。

カテゴリ

月別アーカイブ

Designed by

Ad